織幡神社 宗像市鐘崎224
おりはたじんじゃ

織幡神社

沈鐘と巨石

[祭神]   武内大臣、住吉大神、志賀大神、天照大神、 宗像大神、八幡大神、壱岐真根子臣
福岡県でも有数の漁師町である鐘崎の岬にある佐屋形山の山頂部に鎮座し、主祭神の武内大臣は、神功皇后を助け三韓出兵を行った武人であり、征伐後は鐘崎に上陸され、歴代天皇に仕えた後、鐘崎に鎮座したとされています。

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的原神社 福津市八並1020
まとはらじんじゃ [旧境外摂社]

的原神社拝殿

拝殿

[祭神]   大己貴命、味鉏高彦根命、下照姫命
許斐山の麓に鎮座するこの山は、戦国時代には宗像一族の許斐氏が城を構え、宗像の守りの要でした。的原の由来は許斐城主が弓術の稽古をしたところともいわれ。例祭(10月12日)には、特殊な神饌が供えられています。

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孔大寺神社 宗像市池田字孔大寺2742
こだいしじんじゃ [旧境外摂社]
[祭神]   大巳貴命、少彦名命、医薬祖神
四塚連山の孔大寺山(標高499m)の山腹に鎮座し、現在では登山コースとして親しまれ、青木の枝に子供の草鞋をつけたお守りは、例祭日(3月2日)に遙拝所で授与され、毎年子供の成長を祈る参拝者により長蛇の列ができています。

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宮地嶽神社 福津市宮司元町7-1
みやじたけじんじゃ

[祭神]   息長足比賣命(神功皇后)・勝村大神・勝頼大神
神功皇后が渡韓の折、宮地嶽山頂より大海原を臨て祭壇を設け、「天命を奉じて彼の地に渡らん。希(ねがわ)くば開運を垂れ給え」の故事により、「何事にも打ち勝つ開運の神」として信仰される。全国宮地嶽神社の総本宮。(※宮地嶽神社HPより)

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熊野神社 宗像市王丸622
くまのじんじゃ

[祭神]   事解男命・速玉男命・伊弉册命、宗像三女神、織幡神
許斐山入口にある遥拝所(六社宮)には宗像三神と王子、許斐権現(熊野神社)とが合併されています。登山参道途中の鳥居石燈籠には熊野神社の字があり、九合目頃に熊野宮があり裏に巨岩が聳えています。

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浜宮(木皮社・邊津神社) 宗像市神湊1242-95
はまみや(きのかわしゃ・へつじんじゃ)

[祭神]   宗像三柱大神
古くは木の皮を以って屋根を葺き臨時の祭場とした場所。現在は、毎年5月5日には釣川を中に対岸の「五月宮(皐月宮)」と一緒に祭典が行われ、直会の席には「子供の日」に因み赤飯・粽〟等、神饌の御下りが配膳されます。

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年毛神社 福津市勝浦943
としもじんじゃ

年毛神社

海へと続く参道

[祭神]   志賀大明神(底津少童命、中津少童命、表津少童命)、住吉大明神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、塩竃大明神
創祀は判然としませんが、鎌倉期の文書に祭礼が記されています。言い伝えによると、三韓征伐より神功皇后が凱旋された折に志賀大明神、住吉大明神を祀ったとされ、江戸中期に塩田が開かれると、塩竃大明神が合せ祀られたとされています。

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伊摩神社 宗像市吉田安入寺620
いまじんじゃ
[祭神]   応神天皇、武内大臣、事代主命、素盞鳴命
創建は正長元年(1428)と伝えられ、元は吉田字今ヶ浦に鎮座していました。例年9月の宮座祭には、神酒拝戴に先立ち、熨斗(のし)あわびを区長が代表して戴く「お熨斗あげ」という珍しい慣習も残っています。

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波折社 宗像市田野1872(依嶽神社境内社)
なみおりしゃ

[祭神]   瀨織津姫命・住吉神・志賀神
宗像市田野髙向の信号を垂見峠に向って進むと参道の標識があり、人家の下の小道の先に駐車場があります。参道も古き頃の姿がしのばれる建造物多くあり、拝殿は昭和50年代に建替られた様です。

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久末社(若八幡宮)(村社) 福津市久末315
ひさすえしゃ(わかはつまんぐう)

[祭神]   應神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇・神武天皇・日本武命
鎮座の年月不詳。宗像百八神の中に久末明神とあります。境内神社として天満神社、能野神社、須賀神社、大塚神社の四社が有りますが、由緒は不明。第一鳥居から拝殿まで美しく整備され、本殿の彫刻が美しいお社です。

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稲庭上社 宗像市田島2241(氏八満神社境内地)
いなばけしゃ

[祭神]   倉稲魂命
古くは片脇城の近くにあったとされていますが、大正四年に氏八満神社に合祀されています。宗像百八社の一つとして「稲庭上明神」と見え、大宮司宗像家に由来する由緒をもつ神社です。

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依嶽神社 宗像市田野1872
よりたけじんじゃ

依嶽神社

バクチの木 宗像市天然記念物

[祭神]   気長足姫命、玉依姫命、武内大臣
神社帳には、[祭神]の玉依姫は日向の高千穂から宝満山を経て、木綿間山(現在の湯川山)に祀られたとあり、文明3年(1471)に宗像氏郷によって造営された棟札が現存し、天明3年(1783)に氏子によって再建されています。

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森社 宗像市田野1872(依嶽神社境内社)
もりしゃ

[祭神]   木花開那姫命(宗像神社史=延宝末社調) 玉弉津(タマサツ)命(続風土記附録)
宗像七十五社の一つで、大正13年に依嶽神社(村社)の境内神社として合併されました。合祀された各祭神(大国主命・岩筒男・女命・菅原神・高龗神・素盞鳴命・宗像三女神)依嶽神社へ、森社として祀られました。

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津加計志神社 宗像市神湊1242-95
つかけしじんじゃ

津加計志神社

参道

[祭神]   宗像三柱大神
神湊の産土神で町の中心に鎮座し、元は草崎山の麓にあったようですが、いつの時代かに現在の場所に移り、草崎山の址は「古宮様」といわれ、宗像大社の「みあれ祭」が復興されると頓宮とされてきました。

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縫殿神社 福津市奴山813
ぬいどのじんじゃ

縫殿神社

参道

[祭神]   大歳神、応神天皇、神功皇后、兄媛、弟媛、呉織、穴織
奴山の中腹に鎮座し、裁縫の神として現在も崇敬を集めています。日本書紀によれば、応神天皇37年(306年)の時に、呉の王が兄媛、弟媛、呉織、穴織の四人の縫工女を我国へ遣わし、その際、兄媛が宗像大神に奉献したとあります。

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楯崎神社 福津市渡946-1
たてさきじんじゃ

[祭神]   大己貴神・綿津見神・少彦名神
宗像百八神、七十五社の一つの記録あり。平成10年に全修復工事が行われ、境内の諸建物も整理されている。渡半島の西側、美しい夕日の望まれる処として有名、半島の頂上に東郷神社があります。

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渡津社(楯崎神社) 福津市渡946-1
わたりつしゃ

[祭神]   大己貴命・海津見神・少彦名命
『宗像神社史』御縁起に百八神の一つとして「渡津社」、延宝未社帳に「渡津社少童尊」と見え別に奉斎され、楯崎神社の遥拝所かと思われます。『筑前風土記拾遺』では上記の楯崎神社のこととされています。

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勝浦嶽神社 福津市勝浦桂嶽
かつうらだけじんじゃ

勝浦嶽神社

参道

[祭神]   神功皇后、菅原神
神功皇后が三韓征伐より凱旋された折、勝浦嶽(桂嶽)に登り加都羅(勝利した)と仰れたことに因み、この地域を「勝浦」と呼ぶようになったといわれ、昔は勝浦嶽山頂付近に祀られていました。

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須多田神社(天降神社) 福津市須多田511
すだたじんじゃ(あもりじんじゃ)

[祭神]   少彦名命
『筑前続風土記拾遺』には天守天神社として記載が有り「宮山に在。産神也。少彦名命を祀れり。」と見えます。新原・奴山古墳群近隣の在自嶽、大石、奴山、名児山と、名所旧跡の多い土地柄です。田の神を祀るとの記録も有ります。

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酒多神社 福津市勝浦2857
すだじんじゃ

[祭神]   不詳。或説ニ大物主神ヲ祭ルト云。(神功皇后、工女兄比賣、応神天皇)
事蹟不詳。『宗像宮末社記』に高宮下符二十五所ノ内酒多明神トアルハ此社也。とあります。現在は練原区の産神として立派に守られています。境内を守る壁の垣も近年に修復されています。

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津田神社(蘿神社) 宗像市陵厳寺3-4-1
つたじんじゃ

[祭神]   伊弉諾尊・素盞鳴尊・伊弉册尊蒼魂神
古記録には「往昔蔦ヶ岳ニ出現シ玉ヒシヨリ、社号ヲ蔦大神ト尊敬ス。」とあります。 旧国道三号線が裏山下を通り、宗像市赤間の中心にある境内です。第一鳥居は城山と向いあって、畑地の中にあります。

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大井神社 宗像市字大井929
おおいじんじゃ

[祭神]   大名持命・少彦名命
『宗像神社史』などには七十五社・百八神の一つとして「太井明神社」「太井明神」と見えます。現在は同所の「和歌神社」境内末社として修復され、奉斎されています。

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和歌神社 宗像市大井929
わかじんじゃ

和歌神社

参道

[祭神]   和歌明神
続風土記には、「和歌大名神社若か谷と云所に在」「永正二年(1505)大宮司氏續勧請せりといふ」とある。境内には、国玉神社ほか六社が祀られていいます。永正2年に宗像氏続によって建立されています。

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國玉神社 宗像市字大井929
くにたまじんじゃ

[祭神]   大國魂神
和歌神社境内社の一つとして鎮座しています。七十五社の一つとあり、明細帳によと、はじめ大井の地るにありましたが、後に大井の和歌神社の境内に移され、國玉神社の名をもって存している。とあります。

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四道福松明神 福津市西福間2-1-15
しとうふくまつみょうじん

[祭神]   建御名方命・大名持命・少彦名命
現在の諏訪神社と考えられています。昭和50年代大御造営が成され、往古の境内、神域は一変しています。本・拝殿を始め、社務所、末社、神輿殿等々全て新改築され、立派な神域と整備された建造物に守られています。

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飯盛明神(大森神社) (福津市上西郷801)
いいもりじんじゃ(おおもりじんじゃ)

[祭神]   伊弉諾命・水象女命・事代主命・伊弉明命・大山紙命・石名媛命
現在の大森神社のことで、『筑前続風土記拾遺』「大森神社上西郷村の内大倉といふ処に社有。上下西郷、手光、津丸、久末等5村の惣社也。」とあります。平成9年の御遷宮280年記念大祭で神域は立派に整備されています。

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原比女明神 (鎮座地に二説あり考定しがたし)
宗像市江口字皐月辻八幡宮境内社鎮座・宗像市野坂字榎ヶ元鎮座の原神社という二説あり

はらひめみょうじん

[祭神]   神功皇后、軻遇突智命、菅原神、須佐鳴男尊
宗像神社史の「原比女明神」が上記いずれかの神社かは考定し難い状況ですが、延宝末社帳には「原比女明神大宜都比女命」と見えます。現況として、二社ともに現在も立派に守られ祭祀が続けられています。

辻八幡宮 MAP 原神社 MAP


葦木神社 宗像市深田384
あしきじんじゃ

葦木神社

参道

[祭神]   稚産霊命、倉稲魂命、保食神、底筒男命、中筒男命、水分神、水波売神
境内には徳満神社、須賀神社が祀られ、大正4年には丹後神社、神崎神社、雨守神社を合祀し、毎年10月9日には宮座祭が行われています。徳満神社は牛馬の崇敬が篤く、本殿前には牛の石像が数体あり、拝殿には牛馬の絵馬が数多く飾られています。

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土穴若宮(生目八幡神社) 宗像市土穴2-583
つちあなわかみや(いくめはちまんじんじゃ)

[祭神]   應神天皇・仁徳天皇・神功皇后・平景清
第一鳥居の編額には「生目八幡宮」とあり「維時明治40年」の刻あります。又、「生目八幡神社年中祭事」の額板も建っている。いつの頃より「生目八幡神社」と社名が変わったのか定かではありませんが、目病に霊験ありし社として崇敬されています。

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粢田神社 宗像市池田1278
しときでんじんじゃ

粢田神社

参道

[祭神]   埴安神、素盞嗚命、倉稲魂命、菅原大神
神社明細帳には、宗像氏貞寄進の瓶子一対が存すとあり、筑前国續風土記拾遺には、木製で高さ1尺5寸5分・底経5寸5分の大きさで酒1升5合を受けるとあります。かつては秋の例祭の相撲は郡内でも有名で、境内には観覧席も残っています。

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許斐所主(心吉神社) 宗像市王丸302(旧地)
このみところぬし

[祭神]   中筒男命・底筒男命
事蹟不詳。王丸村の枝郷別所の産神である心吉社について、「宗像末社記に許斐所主神社有。所主を誤りて心吉と奉稱成へし。」とあります。雑木の中に鳥居のみ残っている心吉宮古宮跡、今は雑木に埋れ何も見えないようです。

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許斐三御前社(八幡神社) 宗像市王丸526-1
[祭神]   応神天皇・神功皇后・武内大臣
『筑前続風土記拾遺』王丸村の條に若宮八幡宮王丸村の産神也、神殿・拝殿・幣殿有。村の内、森の中に在、とあります。天正9年(1,581)大宮司氏貞の造替したとの記載が有ります。

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許斐上七郎殿(六之神社境内七郎神社) 宗像市王丸636
[祭神]   不詳:伊弉諾尊・高津七郎権現とも伝わる。
事蹟不詳。祭神名も、社も定かではありません。許斐登山口右側に鎮座される「六之宮」境内に5,6社の石祠があり、この内の1,2社と思われますが、たゞ「福岡県地理全史」にのみ少し社家一説が記されているのみです。

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許斐上六御前(六之神社) 宗像市王丸636
[祭神]   伊弉朋命・瓊々杵尊・豊玉姫命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
宗像七十五社の一つとして『続風土記附録拾遺』「近古御社哀し時より上七郎殿・上六御前を一所に併せ祭りしにや。別に上津七郎殿と云社、今はなし。」と見えます。許斐山登山道入口右側の小高き処に鎮座されています。

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許斐下津六御前(六所御前社) 宗像市久原278-1
[祭神]   彦火々出見尊・豊玉姫命・猿田彦命・田心姫・湍津姫・市杵嶋姫
『続風土記拾遺』では久原村射場の本にある郎御前社をもって、「宗像祭祀記に下津六御前と云るは此社成へし。祭祀の次第、上六御前社(村社)とする。由緒は古耒下津六之御前といふは、是社なり」とあります。

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示現神社 宗像市田熊3-5-16
じげんじんじゃ

示現神社

参道

[祭神]   素盞嗚尊、大己貴命
東郷小学校校庭の奥の小高い丘に鎮座し、社殿は新しく、境内は美しく整えられています。続風土記によると、古くは田熊村のジゲという所に鎮座し、延宝年中(1673~1681)に宗像大社の境内に遷され、その後現在の場所に鎮座しています。

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田熊貴船社(田熊神社境内) 宗像市(旧東郷村)大字田熊3-588
たぐまきふねしゃ

[祭神]   保食神・倉稲魂命・菅原神・闇龗神
『続風土記附録』の田熊村の條には、「貴船四祀」とあり祭神も各社にそれぞれ上記の神を祀ったと有りますが、どの社がこの貴船神社かは定かではありません。

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伊久志神社(矢房神社境内社) 宗像市日の里3-11-3
いくしじんじゃ

[祭神]   伊弉諾命・伊弉冊命
御縁起に百八神の1つとして「伊久志明神」と見えます。安政年間に東郷の矢房神社の境内社として移祀された記録が有ります。伊久志とは50串のことで、祭祀の際に50串を立てて神祭りをしたことに因むものと考えられます。

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池浦山王神社 宗像市池浦632
いけうらさんのうじんじゃ

池浦山王神社

本殿

[祭神]   國常立命、國挟槌命、惶根命、吾勝命、瓊々杵命、大己貴命、菊理姫命
池浦地区の奥に鎮まり、周辺には人家はなく、字名は鐘崎道といわれ、筑前国續風土記拾遺には、寛文の頃、與作という村人が夢託を得て、本殿巽の隅より古の神体、石神二十一体を掘り出したという話が伝わっています。

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太禮明神(指来神社) 宗像市多礼589
たれみょうじん(さしきたりじんじゃ)

[祭神]   気長足姫命・阿蘇津彦命・大己貴命・高龗神・少彦名命・水波能賣命・豊日別命
地域に伝わる説には、「此神は神功皇后異国御征伐の時、御旗を司り給ひし神也。故に旗指大明神と云ひしを今は訛りて指来明神と云ふとも又一説には阿蘇津彦命を祀るとも云へり。」と有ります。参道入り口にある石鳥居扁額には「孔大寺神社」とあります。

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蛭田若宮(八幡神社境内貴船社) 宗像市光岡949
ひるたわかみや

[祭神]   神功皇后・譽田天皇・武内大臣・闇?神・市杵嶋姫命・素盞鳴尊
創立不詳。現在の光岡八幡宮の境内社と考えられる。八満神社の拝殿前には県指定の大樟木が天然記念物として保護されており、その巨木を参拝する方も多いと聞きます。

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國連神社 宗像市鐘崎392
くつらじんじゃ

國連神社

本殿

[祭神]   武雄心命、影姫命
續風土記拾遺には、鐘崎浦の葛原神社をもってこれに充て、宗像末社記には、國連社とは是也とあり、[祭神]は織幡神社に祀られる武内大臣の父母神です。吉野期神事目録には織幡神社の歩射に引き続き「國連明神奉射」とあり、関係の深さが窺えます。

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辻原若宮(辻八幡宮) 宗像市江口1283
つじばるわかみや(つじはちまんぐう)

[祭神]   大鷦鷯命(應神天皇)
古くは應神天皇・今宮明神・武内大臣を祀っていたとされるが、今は大鷦鷯命(應神天皇)一神を祀っています。昔は現在地より南13町に「辻原」又は「八幡山」というところにあったことから「辻八幡宮」という、と云われます。

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十所王子社(日吉神社) 福津市内殿125
[祭神]   宗像三柱神・建御名方命・天津彦根命・正哉吾勝命・素盞鳴命・熊野樟日命・天穂日命・大己貴命・活津彦根命
御縁起に百八神の一つとして「十所王子」、『正平年中行事』に七十五社の一つとして「内殿十所王子社」と見えます。十所(社)と王子(須賀神社※次の猿王子社と考えられる)を合せ祀って十一柱の神を祀っているとされています。

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猿王子社(日吉神社境内須賀神社) 福津市内殿125
[祭神]   大己貴命・猿田彦命
『正平年中行事』に七十五社の一つとして「猿王子社」とあります。日吉神社拝殿左側に「須賀神社」が祭られており、祭神についでは諸説あり定かではありません。又なぜ須賀神社(祭神素戔嗚尊)に合併されたのかも明らかではありません。

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本木若宮(八幡宮) 福津市本木1213-1
もとぎわかみや

[祭神]   譽田天皇・神功皇后・武内大臣
由緒には「当社ハ宗像七十五社ノ其一ニシテ、此村ノ氏神ナリ。宗像末社ニ本木若宮ト有ハ、則此社ナリ。一説ニ鞍手郡若宮八幡宮ヲ勧請ト云フ。七十五社ハ往古ヨリ鎮座ニシテ、年中六度祭典厳重ナリシカ、今ハ村民共、形計ノ祭祀ス。」と有ります。

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老松若宮(天満神社) 福津市本木1213-1(八幡宮同殿)
おいまつわかみや

[祭神]   菅原神
『正平年中行事』に七十五社の一つとして、「本木老松社」と見えますが、同神事の「老」と「生」の字の違いがあるが、同一のものとして考えられます。『続風土記拾遺』には、「老松明神は相殿(本木八幡の)に坐にや。」とあり当時既に合祀されていたようです。

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牧口神社(金刀比羅神社境内社) 福津市在自460
まきぐちじんじゃ

[祭神]   大物主神、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、大己貴命、少彦名命、大海津美命
『牧口とは、国の牧場の入口の守護神のことで、このあたりにはかつて牧場があったとされ、明治44年に在自村字裏谷から金比羅神社のなかに合祀されています。

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在自若宮(金刀比羅神社境内八幡神社) 福津市在自460
あらじわかみや

[祭神]   応神天皇、仁徳天皇、神功皇后
もとは在自字観音谷に村社八幡神社の在ったものではないかと言われ、この村社八幡神社は明治四十四年、金刀比羅神社に合祀されています。

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西塔田若宮 (大森神社同殿) 福津市上西郷802
[祭神]   白山権現明神(伊弉冊命)
大森神社内にまつる同殿6社(丹生大明神・宇津宮大明神・白山権現・伊豆権現・箱根権現・三島権現)のうちの一つ、白山権現であるとされています。大森神社はなまずが神の使いであるといわれ、なまずにまつわる石碑などが建立されています。

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前戸明神 (葦木神社境内神崎神社) 宗像市深田384
さきとみょうじん

[祭神]   タチカラヲノ尊
明細帳によると、同社はもと大字牟田尻字井手浦にあったが大正4年に葦木神社に合祀されています。

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藤宮明神(春日神社) 宗像市冨地原259
ふじみやみょうじん(かすがじんじゃ)

[祭神]   天児屋根命、由緒不詳。
鳥居には「春日社」の春の字のみ残っています。

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神興社 福津市津丸645
じんごうしゃ

[祭神]   宗像三神
由緒不詳。宗像三女神が降臨の際に、この場所から沖津宮、中津宮、辺津宮へ遷座していったとされ、神の興る地として、神興(じんごう)となったとされています。福間東中学校に隣接しています。

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御船上社 宗像市田久3丁目10-8(若宮八幡宮境内内船宮神社)
[祭神]   神直日命・大直日命・八十抂津日命
古来は湊の入り口にあったとされ、船着き場などにかかわる場であったとされています。

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山田若宮(若八幡宮) 宗像市山田1168
やまだわかみや(わかはちまんぐう)

[祭神]   仲哀天皇・應神天皇・仁徳天皇
山田地蔵尊、増福院を目下に見る山中に、「山田若宮」境内地がある。土地の人々しか知らない様な、しずかな神域です。

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山田白山権現社(若八幡宮境内白山神社) 宗像市山田1168
やまだはくさんごんげんしゃ

[祭神]   伊弉册尊・泉津道守命・菊理媛命
若八幡宮の境内社である白山神社がこれにあたり、大正三年五月に合祀されています。若八幡宮には4社の末社(石祠)と小石祠二基が祀られています。

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在自天満宮 (天降天神・福津市須多田511、風降天神・福津市大石422)
あらじてんまんぐう

[祭神]   (天降天神社)少彦名神(風降天神社)垣安神・少彦名神・保食神
世界遺産の資産地の古墳の中に立つ神社。天降天神社は最大級の前方後円墳に建立されている。風降天神社も後墳のような神域にたたずんでいます。

天降天神 MAP 風降天神 MAP


唐坊八幡宮・柳牟田社(金刀比羅宮合祀八幡宮) 福津市在自460
とうぼうはちまんぐう・やなぎむたしゃ

[祭神]   神功皇后
明治44年、金刀比羅神社に合祀されています。唐坊はその古名を「柳の宿」と呼ばれたため、はじめは「柳牟田社」、後に「唐坊八幡宮」とかわったと言われています。

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厳島神社 宗像市地島183
いつくしまじんじゃ

[祭神]   田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命
地島、泊港の船着場の前の小高き境内(石段50段余)に海を見るように鎮座しています。

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牧神社 宗像市地島907
まきじんじゃ

[祭神]   猿田彦命
牧は「國御厩」とあるので、筑前国の貢馬を放牧した所である地島・渡村・勝島・大島・に牧社、牧口明神社がそれぞれある。その牧場の入口を守る神を、牧大明神、牧口大明神として祀ったといわれています。

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泊若宮社(厳島神社境内高殿社) 宗像市地島183
とまりわかみやしゃ

[祭神]   応神天皇
厳島社の境内に祀られています。

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内殿郷若宮(日吉神社同殿) 福津市内殿125
[祭神]   宗像三神
内殿若宮にあたるものは見つかっていないが、現在の日吉神社に宗像三神が祭られており、これではないかと言われています。日吉神社境内には樹齢約500年の大銀杏がご神木とされています。

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朝町大明神(八幡神社) 宗像市朝町2373
あさまちだいみょうじん

[祭神]   仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
参道第一鳥居は「八幡宮」、第ニ鳥居は新しく「竹重宮」とある。さらに境内入口に「竹重宮」合祀記念碑があり昭和12年頃合祀されています。

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光岡若宮(八幡神社) 宗像市光岡949
みつおかわかみや

[祭神]   神功皇后・譽田天皇・武内大臣・市杵嶋姫命・素盞鳴尊
宗像市の中心地に境内をもち、神域の森も巨樹が多く、特に県の天然記念物に指定される大楠があります。

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山口若宮(八幡神社) 宮若市山口1723
やまぐちわかみや

[祭神]   応神天皇・神功皇后・武内宿禰
神功皇后がこの村でご休息をとられたことが建立の由来とされているようです。

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山口御口代神社(八幡神社) 宮若市山口1723
[祭神]   麓山祇命・神功皇后
山の入り口をも守る神として、宗像と宮若の境、見坂峠を越えて山口に入ったところを守る神とされています。

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宮永若宮(八幡神社) 宮若市宮永660鞍
みやながわかみや

[祭神]   応神天皇、大山祇神、保食神
宗像と鞍手の境に見坂峠があり、この峠を水源として鞍手郡側に流れているのが山口川で、山口川は下流が大きく右曲して若宮から飯塚に入り遠賀川に合流する。この山口川が右曲している処を宮永言います。




鴨山若宮(加茂神-社) 鞍手郡吉川村大字下字加茂山
かもやまわかみや

[祭神]   八重事代主命・別雷命・下照命
建武元年(一三三四)三月二十日諸郷文書によると「鞍手郡内室貴・宮田・鴨山」とあって、この頃、鴨山は宗像大宮司領となっていたことが伺えます。




宮田若宮(三所神社) 宮若市本城612
みやたわかみや

[祭神]   田心姫神・湍津姫神・市杵嶋姫神
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室貴若宮(六嶽神社境内八幡神社) 鞍手郡鞍手町室木893
むろき(さいき)わかみや

[祭神]   宗像三女神
応安七年(一三七四)八月足利義満が本社を建立し、さらに明応六年(一四九七)九月三日、大宮司興氏が再興、同十一月十五日遷宮、のち永禄九年、大宮司氏貞が造替した記録が残っています。

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内浦若宮(若宮神社) 遠賀郡岡垣町大字原865付近
うつらわかみや

[祭神]   仁徳天皇・仲哀天皇・神宮皇后
岡垣町立内浦小学校の校庭北側に若宮神社があり、創立百年記念碑の建つ当校は明治初期、若宮社の境内に建ったのであろうか、校庭には往古を偲ぶ大楠の巨木が二、三のこっています。以下所在不明(推定される場所)

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吹浦社 宗像市田島984-1
ふくらしゃ

[祭神]   祭神不詳
宗像大社より東南約一キロの地に旧稲庭上神社の石祠跡がある。現在はミカン山と雑木林になっている。この下を通る町道は三差路となるので、右折して山中に入る道を進むと左手に水田が広がり右側が山となる、ちょうど浦をなす地形である。この里を吹浦“フキウラ”と呼ぶ。十数戸の農家が有る静かな処も宅地造成が始まり日々変化している。「吹浦社」の境内地は定かではない。

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岡堺明神社 宗像市池田垂見峠
おかさかいじんじゃ




祓方明神社 宗像市池田垂見峠
ひかたみょうじんしゃ




犬王丸明神社 宗像市池田垂見峠
[祭神]   祭神不詳
恐らくは宗像郡から遠賀郡に赴く古道は、宗像の池田から孔大寺と湯川山との中間の最も低い垂見峠(標高一〇三メートル)を通って遠賀郡の岡垣町の内浦に通ずる道がこれで、その郡境が垂見峠になるり、その境に坐す神であろうといわれています。




許斐織機神社 宗像市大字王丸
このみおりはたじんじゃ

[祭神]   祭神不詳
応安神事次第、正月十七日許斐踏歌事の時には、「次織幡社ニテ同、チハヤフル ヲリハタミヤノ ユフタスキ カケテノノチハ タノシカリケリ」とあるり、許斐権現附属の社であるため、その附近にあったと推定されます。




山田郷黒尾社 宗像市大字王丸
やまだごうくろうしゃ

[祭神]   祭神不詳
許斐山周辺にあったと考えられていますが所在は不明です。



孔大寺山神社 宗像市池田
[祭神]   祭神不詳
孔大寺神社の近くにあったと考えられていますが所在は不明です。



孔大寺芥神社 宗像市池田
[祭神]   祭神不詳
孔大寺神社の近くにあったと考えられていますが所在は不明です。



今山妙見大菩薩 宗像市吉田字今山
[祭神]   祭神不詳
「今山」は宗像市吉田の今山であるから、そこを鎮座地とされたと思われます。



織幡人見明神社 宗像市鐘崎
[祭神]   祭神不詳
鐘崎、織幡神社の末社であるから、同地にあったことは確かであるが、現在はその跡が不明です。



由牧殿社 福津市渡
ゆまきどのしゃ

[祭神]   祭神不詳
牧場の入り口をうしはく神を「牧口大明神」として七十五末社の一つとし、これが在自にあったとしているので、この由牧殿社は福津市渡にあったといふ牧大明神が、近いと考えられています。



山田妙見社 宗像市山田字稗田山
[祭神]   祭神不詳
続風土記附録山田村の條に「妙見社ヒエダヤマ」とある。同拾遺は、山田村の稗田山なる妙見社について「宗像百八神の内也。今はいささかなる社叢祠となれり。」と記しています。



廻田道祖神 宗像市野坂
[祭神]   祭神不詳
廻田とは田を廻ることで、そこの守り神が廻田道祖神であったと考えられますが、どの神社にあたるのかは定かでありません。



位置不明なる末社
只下明神社
ただおりみょうじんじゃ

[祭神]   祭神不詳
『宗像神社史』に「只下明神」と同高宮下符社のうちに「只下明神社」、正平年中行事に七十五社の一つとして記載されています。稲田姫命は櫛名田比売とも記し、八岐大蛇の神話で登場し、須佐之男命に助けられ妻となりました。



千得下符社
ちとくしものふしゃ

[祭神]   栲幡千々姫命 たくはたちじひめのみこと
百八社の一つとして高宮下符社のうちに「千得下符三社(須田明神・伊摩大明神・津田明神)」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして「千得大明神社」とその神事の条に「千得明神九月九日神事」とあります。御祭神は高木神の女で、天忍穂耳命の妻となり瓊瓊杵命を生む。



年津久明神社
としつくみょうじんしゃ

[祭神]   歳徳神 としとくじん
百八社の一つとして「年津両上明神」と見え、高宮下符社のうちに「年津久明神」と、同高宮下符神事の條に「年津久明神十一月十一日祭之」とある。年始に祀る神で、歳神・正月様ともいいます。



小野井明神社
おのいのみょうじんしゃ

[祭神]   小野御霊
百八社の一つとして「小野井明神」と、高宮下符社のうちに「小野井明神社」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして上高宮下符社のうちに「小野井明神社」と、神事の条には「小野井明神十一月十八日祭之」とあります。



飯豊明神社
いいとよみょうじんしゃ

[祭神]   稲飯命 いなひのみこと
『宗像神社史』に百八社の一つとして「飯豊明神」と見え、高宮下符社のうちに「飯豊神社」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして上高宮下符社のうちに「飯豊明神」と、神事の条には「飯豊明神十一月二十一日祭之」とあります。



息直明神社
をきなおみょうじんしゃ

[祭神]   大直日命 おおなおびのみこと
御縁起に百八社の一つとして「息直明神」と、同高宮下符社のうちに「息直明神社」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして上高宮下符社のうちに「息直明神」と、神事の条には「息直明神十一月二十日祭之」とあります。



山手明神社
[祭神]   野椎姫命 のづちひめのみこと
御縁起に百八社の一つとして「山手明神」と、同高宮下符社のうちに「山手明神社」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして上高宮下符社のうちに「山手明神」と、神事の条には「山手明神十一月二十五日祭之」とあります。



酒井明神社
[祭神]   大山祇命
御縁起に百八社の一つとして「酒井明神」と見え、正平年中行事、神事の条には「酒井明神九月九日神事」とあり、延宝末社帳には「酒井明神 大山祇命」とあります。



篠尾明神社
[祭神]   祭神不詳
吉野期神事目録、許斐権現の祭の条に引き続き、正月十日の条に「篠尾明神」の祭礼のことが見えています。



坂本社
[祭神]   祭神不詳
吉野期神事目録、許斐権現の祭礼の条に五月五日「坂本社」、八月十四日「坂本祭」の記述が見えるものの、許斐山の坂本と考えられるが、詳らかでない。



山下明神社
[祭神]   麓山祇命 はやまつみのみこと
御縁起に百八社の一つとして「山下明神」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして「山下社」と、同神事の条に「山下明神九月九日神事」とあります。山の麓を掌る神と解されています。



温濟殿明神社
ゆさいとのみょうじんしゃ

[祭神]   少彦名命
御縁起に百八社の一つとして「温濟殿明神」とあり、正平年中行事に七十五社の一つとして「温濟殿社」と、同神事の条に「温濟殿明神九月九日神事」とあります。大国主神と共に国を作り固めたが、後に常世国に行ったとされています。



大神明神社
おおかのみょうじんしゃ

[祭神]   三輪明神
御縁起に百八社の一つとして「大神明神」とあり。延宝末社帳には「大神大明神 三輪大神 大巳貴命」とあります。奈良県の式内社大神神社の祭神。大物主大神という。大己貴神の幸魂・奇魂を祀っています。



無後見明神社
[祭神]   祭神不詳
吉野期神事目録、十二月十八日の条に「無後見明神」の祭礼のことが見えます。同社と同じ日に稲庭上・吹浦明神・綱懸明神の祭礼が行われることから考えると、本社は田島村から神湊に至る間にあったように思われる。



以上十四社が位置不明にして、古記録に神社名を残している社である。
現在鎮座地明らかにして、産神として祭祀されている社
 七十三社
現在鎮座地不明なれど大体推定できる社
 十三社
現在鎮座地不明にして古記録に残る社
 十四社




第三章 室町戦国時代の由緒社
古来の七十五末社、或いは百八神(社)ではないが、中世以降戦国時代までに、大宮司が建立、寄進をなし、または宗像大社と何等かの関係のある郡内社を調査した

氏八幡(満)社 宗像市田島2241
[祭神]   宗像大宮司 宗像朝臣正氏室・息女菊姫侍女四人の霊・宗像大宮司清氏霊・吾田片隈命・高靇神・保食神
『宗像神社史』宗像記第四に、氏八幡社の創立の由来について、大宮司氏貞がその継母と姉菊姫との怨霊を慰めるために奉祀したものと書かれています。「神に祝ひ奉て、怨霊を慰めんとて、田島の里にやしろを建て、八幡宮と祝ひける。宗像の氏女を祭れば、即氏八幡と号し奉る。」とある。続風土記・同附録・同拾遺にも同様のことが見えています。

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宇生社 宗像市牟田尻1589-1
うぶしゃ

[祭神]   伊弉諾尊・伊弉冉尊・今大明神
『宗像神社史』続風土記附録の牟田尻の条に「永正二年(一五〇五)三月大宮司氏経勧請せりと社殿に見たり。」とあります。明細帳によると、宇生神社(旧村社)は、田島村大字牟田尻宇生ノ下鎮座。建長年中大宮司長氏の建立とも永正年中、大宮司氏経が長門国から勧請したとも伝えています。

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貴船社 宗像市大穂599
きふねしゃ

[祭神]   伊弉諾尊・伊弉冉尊
続風土記附録の陵厳寺村の条に「蘿神社アカジヤウヤマ、神殿方一間、拝殿二間・三間、祭礼八月十五日、石鳥居一基、奉祀位賀相模。産神也。祭る所伊弉諾尊・伊弉冉尊也。社説に昔は蘿カ岳に鎮座し給ひしを、永禄年中大宮司氏貞此地に移せしといふ。旧宮の地詳らかならず。」とあります。

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蘿神社 宗像市陵厳寺3-4-1
つたじんじゃ

[祭神]   高靇神・闇靇神・罔象女神
『宗像神社史』続風土記附録の大穂村の条に「貴船社、神殿方一間、拝殿二間・三間、祭礼九月二十七日、石鳥居一基、奉祀鞍手郡稲光村、小方大内蔵。許斐城主 多賀民部少大輔隆忠建立すといふ。明応年中」とあります。

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尾降社 宗像市大字三郎丸276-1
をさがりしゃ

[祭神]   天神七代
続風土記附録の三郎丸の条に「尾降社、神殿方一間、拝殿二間・三間、祭礼九月十九日、奉祀位賀相模 産神也。祭る所、天神七代也。」社家の説に「永禄の頃、宗像氏貞初めて祭れりとそ。」とあります。由緒看板が掲揚してあるが祭神が神社史と異なっています。

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八幡宮 宗像市王丸526
はちまんぐう

[祭神]   応神天皇・神功皇后・武内大臣
続風土記附録の王丸村の条に「八幡宮、神殿方一間、拝殿二間・三間、祭礼九月二十七日、奉祀中津内膳、産神也。祭る所応神天皇・神功皇后・武内大臣也。此社に天正九年(一五八一)大宮司氏貞再建の棟札あり。」とあります。

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正八幡宮 宗像市用山316
しょうはちまんぐう

[祭神]   不詳(神功皇后・応神天皇・武内大臣)とする。
明細帳によると、本社(旧村社)は七十五末社の一つで、大宮司氏俊建立、天正五年(一五七七)氏貞再建の由を伝えるが、もとの何社に当たるのか詳らかでない。

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菅原神社 宗像市吉留960
すがはらじんじゃ

[祭神]   菅原神
明細帳によると、大宮司氏能が永延二年(九八八)これを勧請。続風土記拾遺には、これを平山天満宮といい、同じ由緒を載せています。

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愛宕神社 宗像市冨地原1315
あたごじんじゃ

[祭神]   宗像三女神・軻遇突智命・惶根命
『宗像神社史』明細帳によると天慶三年(九四〇)、大宮司氏男の創建。社説に拝殿左側に二本の古松があり、寛政十二年十一月、この拝殿を修造した時、巽の方が屋根にかかり伐らんとしたが、一夜にして乾の方に直ったという伝説もある。これを記した石碑が境内に建っています。

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山田神社 宗像市山田字
やまだじんじゃ

[祭神]   櫛眞魂輝世姫命・綾菊香細姫命・花尾命・三箇月命・小夜命・小少将命
大宮司氏貞がその怨霊を慰めんとして祀った山田増福院六地蔵堂を元として、明治七年にこれを仮神殿とし、同十三年、現地に神殿を造って遷祀した。

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住吉神社(野坂神社) 宗像市野坂904
すみよしじんじゃ(のさかじんじゃ)

[祭神]   表筒男命・中筒男命・底筒男命
天文十六年(一五四七)に大宮司正氏が長門国の一之宮を勧請したものといわれています。現在、第一鳥居には「野坂神社」の扁額あり、境内石碑に「一之宮住吉神社」刻まれている。第二鳥居には「一の宮」、第三鳥居には「二の宮」と彫られています。

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八幡神社 宗像市野坂1870-1
はちまんじんじゃ

[祭神]   仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
天文十六年、大宮司正氏が長門国の「二の宮」を勧請したといわれています。前期の住吉神社と同境内に祀られている八幡神社の可能性もあります。同社なれば、第三鳥居に掲げられている扁額「二の宮」の意味が理解できます。

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七社神社 宗像市石丸2-8-1
ななしゃじんじゃ

[祭神]   國常立尊・惶根尊・大己貴尊・伊弉諾尊・國狹槌尊・忍穂耳尊・瓊々杵尊、七神也
続風土記拾遺には、この七社宮に大宮司氏俊寄付の調拍子、同氏貞寄進の太刀一振・仮面一つがあり、の神宝は元禄十五年(一七〇二)焼失したと記しています。例祭は十一月十一日。

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八幡神社 宗像市大字稲元4-7-2
はちまんじんじゃ

[祭神]   応神天皇・比咩神・神功皇后
続風土記拾遺に、天正十一年(一五八三)に大宮司氏貞が建立したときの棟札、及び天正年中に擬大宮司氏栄が寄進した仮面が一つあるといわれています。例祭は十月九日。

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以上十四社は、大体産神として管理されている。
この調査で、宗像神社史にある摂・末社
 七十三社
鎮座地の大体推定できる社
 十三社
鎮座地不明にして記録にのこる社
 十四社
室町戦国時代より大社に関係ある社
 十四社

合計 百十四社となる。
平成十二年二月二十九日